昨日までの寒さは一体何処へ逃げて行ってしまったのか。
今朝の天気予報士は明るい表情で、今日は全国的に暖かい一日だと伝えていたが、確かにここ数日続いていた厳しい寒さは随分と和らいで、2月中旬にしては随分と暖かいような気もする。
まぁ、仮に今日の気温が昨日までと同じく極寒だったとしても、日本中が色めいている今日ならば、生温い空気が街中を支配している今日ならば、少々寒かろうが多くの女性にとってはあまり関係の無いことだったのかも知れないが。
何せ、今日は聖バレンタインデーだ。クリスマスと並び称されるカップルの為の一日。
それとも、もしかしたら―――私にしては少々ロマンチシズムに過ぎる妄想のような気がしないでも無かったが―――今日の陽気は、カップルたちを祝福しようとする神の計らいだったのかもしれない。
それはさておき。
晴天の広がる暖かな昼下がり。だがしかし、普段は一般生徒には開放されることの無い校舎の屋上で、
「ごめんなさいっ。わたし、他に好きな人がいるのでっ」
目の前の女の子に、深々と頭を下げられている男を横目に見つつ、
「……さよならっ!」
私は異様なほどに冷たくて寒い空気を、ひしひしと肌に感じていたのだった。
* *
屋上からぱたぱたと走り去っていく、彼好みの大人しそうな眼鏡姿の少女。
そんな少女の後姿と、それから、呆然と立ち尽くして二の句も継げないでいる友人と。その両方を交互に見比べつつ、私は軽く嘆息する。
要するに、彼はいつも無謀なのだ。
この、普通の人間からすれば考えられないほどに惚れっぽい私の友人は、初めて見た女の子にその瞬間に惚れ、2時間もすれば他のことが何も考えられなくなり、さらにその2時間後には告白し、結果見事に玉砕している。
それにしても、その度に何も学んでいないのだろうか、同じことを何度も繰り返しているこの男は。
「まぁ、何だ。結局のところ、無謀だったんじゃないか?」
今さっきフラれたばかりの友人に掛けるべき言葉としては、いささか無遠慮に過ぎるとは思いつつ、それでも私は率直な感想を述べた。
「こんなハズじゃなかったんだ……こんなハズじゃ……」
「ふむ」
うわ言のように繰り返される彼の台詞も、まぁいつもと同じで要領を得ない。と言うか、何が『こんなハズじゃなかった』のか、その根拠を今度真面目に聞いてみたいところではあった。小一時間ほど問い詰めれば、或いは目が覚めるだろうか。
……その程度で覚めるくらいなら、苦労はしないのだが。
私は少しずり落ちかけた眼鏡を中指でくいっと直すと、未だ呆然と立ち尽くす彼に向かって、
「そもそも、君は知っているか? 世間では今日はバレンタインデーと言って、女性が自分の気持ちをチョコレートと共に好きな男性へと届ける日だろう?」
「……お前は俺を馬鹿にしてるのか?」
そんな私の台詞には流石にむっとしたらしく、彼は眉間に皺を寄せて私のほうを睨んだ。しかし私は、刺々しい視線を受け流しながら、本当に分かっているのかと問うてみせる。
「仮に知っていると言うのなら。そんな日に君の方から女性に告白するとは、余りにも浅ましいとは思わないか?」
「……ぐっ……」
彼は反論しようと一瞬だけ口を開きかけたが、そのまま言葉を飲み込んだらしい。
悔しそうに口元を歪め、そして、がっくりと肩を落とした。
「……まぁ、あまり気を落とすな。君はそこそこ魅力的だし、高校生活はまだ1年も残っているじゃないか。ゆっくり時間をかければ、やがてステキな彼女が出来るさ」
その肩をぽんぽんと叩きながら、頭1つ以上背の高い彼の顔を眼鏡越しの上目遣いで見詰めて。
「何なら、私が立候補してやろうか?」
これ以上ないくらいの笑顔を浮かべながら、私はそう言ってみせた。
―――けれど彼は、
「……いや」
軽く否定すると、にやりと笑って、
「また、いい子を探すさ」
そう言って、私の頭をぽむっと叩いた。そのまま、ひらひらと手を振りながら、屋上から立ち去っていく。
そんな彼の姿を見ながら、
「……ばかだな君は。そんな鈍感だから、毎回ダメなんじゃないか……」
彼には聞こえない様に、そう、ぽつりと呟いて。
それから私は、ポケットの中に忍ばせておいた小さな包みを、屋上から放り投げた。
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