妄想夜話 -或いは此れも幸せな日常-

日々の暇に思いついたお話。或いは杉田さんとピンキー達とのあれこれ。
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七月七日の憂鬱

 屋上へと続く入り口の重い扉を開いた。梅雨の時期独特の湿った空気に思わず顔をしかめながら、私はそれでも、屋上の定位置を目指してすたすたと歩き出した。
 貯水槽の裏側、入り口から丁度死角になっている場所。一人きりで思索に耽るには、これ以上の場所は無い。

 しかしながら。

 人の気配を感じて、私は足を止めた。別段話し声が聞こえたわけではない。人影が見えたわけでもない。けれど、確かに感じる気配。それは紛れも無く―――。

「よ」

 こちらが見えたわけでもないだろうに、こちらに声を掛けてくる。
 その声に私は思わずどきりとした。

 久し振りに聞いた、その声。

 心の中でゆっくりと3カウント。それから私は、彼に話しかける。

「―――久し振りだな、君に会うのは。半年振りぐらいか?」

 半年前と、同じように。

「ああ、そうだな」

 特に感慨も無さそうに、彼はそんな返事を返して寄越した。
 それを見て、私は軽く嘆息してみせる。



 今年の4月にクラス替えがあって、彼と私は別のクラスになった。
 そのせいか、それとも別の理由があったのかは定かではないが、ともかく、彼と私はここ半年ほど全く顔を合わせることが無かった。元々彼には私に会う理由が無いのだから、この結果は容易に予想できたことではあった。しかも、私の方も積極的に彼に会いに行こうとしなかったのだから、尚のことだ。

 そんな私たちが久し振りに出会ったのは、放課後の屋上。夕暮れ、曇り空。

 二人が交わした会話はそれだけだった。彼は私には興味が無い。それは、過去二年間の付き合いで十分に把握している。私には彼に語りかける意味が無い。否、甲斐が無い。叩いてもつついても意味が無い、人それを不毛と言う。
 そのままぼんやりと、空を見上げた。雨が降りそうな気配こそ無いが、分厚い雲には隙間も無く、夕焼けも宵の明星も見えることは無さそうだった。

 星に思いが至った所で、不意に思い出した。
 今日は七夕だ。織姫と彦星が、一年と一度だけの逢瀬を許される日。

「……君は今日が何の日か知っているか?」

 何となく口をついて、そんな言葉が出た。
 少し離れた場所で同じようにぼんやりと空を見上げていた彼が、こちらに顔を向けた。

「何の日かって……七夕に決まってるだろ?」
「ふむ」

 彼の答えに頷く私。
 人差し指でつい、と眼鏡の位置を直してから、

「ところで、ここ数年で七夕の日が晴れていた記憶が私には全く無いのだが。折角二人が出会える日だというのに、こうも毎年曇りや雨が続いているのだから、織姫と彦星にとっては何とも不幸なことだな」

 そう言って、私は薄く笑ってみせる。
 それを見た彼が、困惑したように私の顔を見た。

 それから、小さく笑った。

「む。私は何か可笑しいことを言ったか?」
「いや」

 否定しながら、それでも彼は面白そうな表情を崩さない。

「失礼だな君は。……折角彼女が出来たというのに、デリカシーと言うものを学ばなかったと見える」

 そんな皮肉を言いながら、私は自分の胸がちくりと痛むのを感じていた。

「ああ、悪い悪い。ヨウコの話を思い出していたんだよ」

 ヨウコ。彼を選んだ物好きな彼女。

「俺もさ、お前と同じようなことを言ったんだよ。そしたらヨウコが……何ていったと思う?」
「……さあ?」

 聞きたくない。そんな話は聞きたくない。
 彼の口から彼の彼女の話なんか聞きたくないのに。

「あいつさ、『でも織姫と彦星はこの宇宙の向こうにいるんだから、こっちの天気なんかきっと関係なくイチャイチャしてると思うんだよ』だってさ。はは、笑っちゃうだろ?」

 見たくない。そんな彼は見たくない。
 心底楽しそうに話す彼の表情なんか見たくないのに。

「……そうか、こっちの天気なんか関係ない、か」

 私の心模様は土砂降りなのに。

「…………はは、随分と面白いことを言うんだな、君の彼女は」
「だろ?」

 心底嬉しそうに笑う彼。



 ―――私は今、笑えているだろうか?



「おっと、そろそろ時間だ」

 腕時計を見て、彼は少し慌てたように歩き出した。私は黙ったまま、その後姿を見送る。
 と、不意にこちらを振り返って、

「またな」

 笑顔でそう言うと、こちらにひらひらと手を振って、今度こそ彼は立ち去った。屋上のドアが音を立てて開き、閉まる。

 私は思わず、ぺたんと座り込んでしまった。

「―――はは」

 笑い声が漏れた。全く、何て滑稽なんだろうか。私は。
 こんなにも不安定な心を持て余して。



 ああ、何て憂鬱な七月七日。


 (感想お待ちしております。)
| SS(オリジナル) | 22:26 | comments(2) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
バレンタインの憂鬱

 昨日までの寒さは一体何処へ逃げて行ってしまったのか。

 今朝の天気予報士は明るい表情で、今日は全国的に暖かい一日だと伝えていたが、確かにここ数日続いていた厳しい寒さは随分と和らいで、2月中旬にしては随分と暖かいような気もする。
 まぁ、仮に今日の気温が昨日までと同じく極寒だったとしても、日本中が色めいている今日ならば、生温い空気が街中を支配している今日ならば、少々寒かろうが多くの女性にとってはあまり関係の無いことだったのかも知れないが。

 何せ、今日は聖バレンタインデーだ。クリスマスと並び称されるカップルの為の一日。

 それとも、もしかしたら―――私にしては少々ロマンチシズムに過ぎる妄想のような気がしないでも無かったが―――今日の陽気は、カップルたちを祝福しようとする神の計らいだったのかもしれない。

 それはさておき。

 晴天の広がる暖かな昼下がり。だがしかし、普段は一般生徒には開放されることの無い校舎の屋上で、

「ごめんなさいっ。わたし、他に好きな人がいるのでっ」

 目の前の女の子に、深々と頭を下げられている男を横目に見つつ、

「……さよならっ!」

 私は異様なほどに冷たくて寒い空気を、ひしひしと肌に感じていたのだった。


     *     *


 屋上からぱたぱたと走り去っていく、彼好みの大人しそうな眼鏡姿の少女。
 そんな少女の後姿と、それから、呆然と立ち尽くして二の句も継げないでいる友人と。その両方を交互に見比べつつ、私は軽く嘆息する。

 要するに、彼はいつも無謀なのだ。

 この、普通の人間からすれば考えられないほどに惚れっぽい私の友人は、初めて見た女の子にその瞬間に惚れ、2時間もすれば他のことが何も考えられなくなり、さらにその2時間後には告白し、結果見事に玉砕している。
 それにしても、その度に何も学んでいないのだろうか、同じことを何度も繰り返しているこの男は。

「まぁ、何だ。結局のところ、無謀だったんじゃないか?」

 今さっきフラれたばかりの友人に掛けるべき言葉としては、いささか無遠慮に過ぎるとは思いつつ、それでも私は率直な感想を述べた。

「こんなハズじゃなかったんだ……こんなハズじゃ……」
「ふむ」

 うわ言のように繰り返される彼の台詞も、まぁいつもと同じで要領を得ない。と言うか、何が『こんなハズじゃなかった』のか、その根拠を今度真面目に聞いてみたいところではあった。小一時間ほど問い詰めれば、或いは目が覚めるだろうか。

 ……その程度で覚めるくらいなら、苦労はしないのだが。

 私は少しずり落ちかけた眼鏡を中指でくいっと直すと、未だ呆然と立ち尽くす彼に向かって、

「そもそも、君は知っているか? 世間では今日はバレンタインデーと言って、女性が自分の気持ちをチョコレートと共に好きな男性へと届ける日だろう?」
「……お前は俺を馬鹿にしてるのか?」

 そんな私の台詞には流石にむっとしたらしく、彼は眉間に皺を寄せて私のほうを睨んだ。しかし私は、刺々しい視線を受け流しながら、本当に分かっているのかと問うてみせる。

「仮に知っていると言うのなら。そんな日に君の方から女性に告白するとは、余りにも浅ましいとは思わないか?」
「……ぐっ……」

 彼は反論しようと一瞬だけ口を開きかけたが、そのまま言葉を飲み込んだらしい。
 悔しそうに口元を歪め、そして、がっくりと肩を落とした。

「……まぁ、あまり気を落とすな。君はそこそこ魅力的だし、高校生活はまだ1年も残っているじゃないか。ゆっくり時間をかければ、やがてステキな彼女が出来るさ」

 その肩をぽんぽんと叩きながら、頭1つ以上背の高い彼の顔を眼鏡越しの上目遣いで見詰めて。

「何なら、私が立候補してやろうか?」

 これ以上ないくらいの笑顔を浮かべながら、私はそう言ってみせた。

 ―――けれど彼は、

「……いや」

 軽く否定すると、にやりと笑って、

「また、いい子を探すさ」

 そう言って、私の頭をぽむっと叩いた。そのまま、ひらひらと手を振りながら、屋上から立ち去っていく。
 そんな彼の姿を見ながら、

「……ばかだな君は。そんな鈍感だから、毎回ダメなんじゃないか……」

 彼には聞こえない様に、そう、ぽつりと呟いて。



 それから私は、ポケットの中に忍ばせておいた小さな包みを、屋上から放り投げた。


 (感想お待ちしております。)
| SS(オリジナル) | 23:43 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
はっぴーはっぴー・ばれんたいん

 その子はいつも頑張り屋で。
 時に頑張りすぎてしまうほどの、頑張り屋で。

 だから僕は、いつもハラハラさせられる。


     ▼


 それは、仕事中のこと。

「中嶋」

 ちょっとした仕事を頼むつもりで、僕はその名前を呼んだ。
 すると、自分のデスクのノートパソコンから顔を上げて、3つ下の後輩の中嶋真由子が、ゆっくりとこちらを見た。

「はい? 何ですか、名村先輩?」
「ちょっと頼みたいことがあるんだけど……」

 そう、言いかけて。

「……ちょっと待て、中嶋」
「はい?」
「お前、もしかして具合悪いのか?」

 それは、ちょっとした違和感。
 何となく表情に翳りがあるような気がして、僕は思わずそう訊いた。

「えええっ!? そんなことないですよっ!?」

 すると中嶋は、思い切り大げさに両手をぶんぶんと振る。

「や、ちょっと眠いぐらいで! 別にそんな、具合悪いだなんてそんな、何とも無いんですよ? 本当ですよ?」
「じゃあ何でそんな必死なんだよ」
「だって大丈夫ですから何ともありませんから全然余裕ですからっ」

 ぶんぶんぶんっ、と、中嶋が顔を激しく左右に振る。
 そんな必死な様子が、何となく可笑しくて。

「……くくっ」
「あ、もしかして今笑いましたか?」
「いや別に何でもないよ。―――はいこれ、コピー頼んでも良いか?」
「了解しましたっ」

 びしっと敬礼してみせる、そんな中嶋が、また可笑しくて。
 今度は思わず、声を出して笑ってしまった。


     ▽


「名村先輩」

 退社しようとしたところを呼び止められて、僕はそちらを振り向いた。

「中嶋?」
「はいっ」

 僕が名前を呼ぶと、中嶋は嬉しそうに微笑む。

「何か用か?」
「はい。えっと……これを、先輩に渡そうかなと思って」

 そう言うと、中嶋は鞄の中から包みを取り出した。
 可愛らしくラッピングされた箱。それは紛れも無く、

「……チョコレート?」
「はい。今日はバレンタインデーですからね?」

 何が嬉しいのか、中嶋がまた笑い声を上げる。

「喜んで下さいよ名村先輩。それは何と、私の手作りなんですからね?」
「へぇ。中嶋、お菓子とかよく作るの?」
「いえ、全然ですけど」

 何故か自慢げに言い切る中嶋。思わず脱力する僕。

「おかげで時間が掛かっちゃいまして、結局昨日の夜は殆ど眠れませんでしたよ。そのせいか、今日は一日中眠くて眠くて……」
「……それでお前、今日の仕事中ずっと具合悪そうだったのか?」
「ええ、だから大丈夫だって言ったんじゃないですか。ただちょっと眠いだけですからって、言いましたよね?」
「ああ、確かにそう言ってたな。くそ、心配して損したじゃないか」

 溜め息を吐く。けれど中嶋は、むしろ嬉しそうに目を輝かせた。

「心配してくれてたんですか、先輩?」
「……まぁ一応な」
「良かったー。頑張った甲斐がありました」

 そう言って、中嶋が笑う。
 どうしてこの子は、そんなに頑張れるんだろうか。

「なぁ、中嶋」
「はい?」
「何だってそんな頑張るんだ?」

 僕がそう訊くと、中嶋は目を細めて悪戯っぽく微笑んで。

「だって」

 楽しそうに。

「女の子にとって、バレンタインデーは戦いですからっ」

 嬉しそうにまた笑って、僕に向かってこう言ったんだ。




「だから―――覚悟しててくださいね、先輩っ!」
| SS(オリジナル) | 23:18 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
タイトル未定
 どうしてこんな状況になったのかと、自問自答してみて。
 すぐにそれが意味が無いことだと気づいて、真由は溜め息を吐いた。

「どうして、溜め息なんて吐いてるの?」

 その目前では、1人の少女が、真由に向かってそんなことを訊く。その言葉に、真由はがっくりと肩を落として見せた。

「美加。あんた、今の状況分かってる?」
「……???」

 不思議そうに疑問符を並べる少女――美加を見て、真由は思わず頭を抱えたくなった。この、長年付き合ってきた年下の幼馴染は、基本的に天然だ。いつもは仕方ないと笑って許してしまうところだが、今回ばかりはそうもいかない。
 改めて、真由は今の状況を整理することにした。まずは、どうしてこうなったのか……。

「真由ちゃん、どうして難しい顔してるの?」

 思わず、脱力。そして次に、

「どうしてあんたは1人でそんなにほのぼのしてるのよっ! こんな状況でっ!」

 怒鳴る。狭い個室の中、真由の怒鳴り声が反響して、美加の身体がびくっと震えた。

 要するに。
 トイレの個室、何故か2人で、閉じ込められてしまっているのだった。



「ああもう、いい加減泣き止んでよ……」

 真由はごめんごめんと呟きながら、美加の身体を包み込むように抱いて、あやすように頭を撫でた。美加は真由のハンカチを目元に当てながら、

「もう……怒って……ない?」

 ぐしゅぐしゅと鼻を啜りながら、伏せ目がちに訊いてくる。
 よく考えれば、6歳も年下の美加に怒鳴り散らすなんて、大人げなかったのだ。こういう時に落ち着かないといけないのは、大人である自分だというのに。
 今年、美加の通う高校の図書館司書として採用されて、まだ6ヶ月。或いは、何も問題を起こすまいと躍起になっていて、だからこそ安易に怒鳴ってしまったのかも知れないとも思う。そう考えると、真由は少しだけ、自分自身を情けなく思ってしまうのだった。

「ごめん」

 もう一度、今度はきゅっと、美加の身体を抱き締める。

「……うん」

 美加は泣き笑いのような表情で、真由の肩口に顔を埋める。

 放課後の旧校舎。2階の女子トイレ。開かない個室の扉。過ぎてゆく時間。

 最初こそ、待っていれば誰か来るんじゃないかと高を括っていたのだが、今や殆ど使われていないらしい旧校舎のトイレに来る人間など居らず。声を上げれば誰かが来てくれるとか、そういうことを期待するのは無理のようだった。外界から完全にシャットアウトされたようなトイレの個室は、今や密室も同然だ。

(こういう時、犯人はどうやって、自分一人だけ脱出できて逃げ果せるようなトリックを考え付くのかしらね)

 真由は、仕事の合間によく読む推理小説の、密室トリックを思い出そうとしてみた。勿論それは意味のある行為では無かったし、そもそも推理小説の犯人は密室殺人を企てることはあっても、密室から脱出する手段を考えることなど無いはずだった。最初から密室でない状況で殺人を犯し、然る後に密室というあたかも犯行が不可能であるかのような状況を作り上げるのが、密室トリックの常だから。

(それとも……別の入り口があったりとか?)

 例えば、それほど高くない天井。数枚のパネルで構成された天井、そのパネルが1枚だけ外れて、天井裏へ脱出できるのだ。そして天井裏には、秘密の迷宮が隠されていたり。

(……バカバカしい)

 天井のすぐ上には3階がある。天井裏のスペースなんて無きに等しいだろうし、そもそも天井の高さまで這い上がることなどできそうも無い。
 脱出手段として一番可能性が高いのは、トイレのドアを蹴破ることだろう。ドアノブをガチャガチャと回しても、思いっきり押しても引いてもドアは開かなかったけれど、思いっきりドアを蹴破れば、もしかしたら出られるかも知れない。

 と、そこまで真由が考えたところで。

「ねぇ、真由ちゃん」

 美加が、泣き腫らした顔を上げて、ぽつりと呟いた。

「私、そろそろ帰りたい」
「……あんたねぇ。それが出来るなら、最初っから苦労はしてないわよ」

 疲れ切った表情で、真由が呻く。すると美加は不思議そうな表情で、真由の顔を見上げた。視線を受けて、真由は少し戸惑ったように、身体を半歩ほど横にずらす。
 美加はその横をすり抜けるようにして、ドアの前に立った。ノブに手を掛けて、よっと力を入れる。

 ―――ドアは、呆気なく開いた。

「えええええええええええっ!?」

 思わず絶叫する、真由。

「あんたっ、何でっ……」

 すると美加は不思議そうに、首を傾げて。

「もしかして真由ちゃん、ここから出たかったの?」

 美加の言葉に、うんうんと頷く。

「なら、言ってくれれば良かったのに」

 このドア、立て付けが悪いから、開けるときコツが要るんだよ。そう言って微笑むと、じゃーねと言い残して、美加はさっさと立ち去ってしまった。
 そして、残された真由と言えば。

「何なのよそれ……」

 立ち尽くしたまま、呆然と呻く。窓から差し込む夕陽が、やたらと目に痛かった。
 ふと、腕時計に目を遣る。時間は、10数分しか過ぎていなかった。つまりこれは、

「私一人だけ、パニックになってたってこと……?」

 思わず頭を抱えて、その場に座り込んでしまいそうになりながら。
 取り敢えず真由は、仕事をしばらくの間サボってしまっていたことに対する言い訳を、必死になって考えていたのだった。
| SS(オリジナル) | 15:07 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
名も知らぬ君 (前編)
 毎朝、僕は窓から外を見下ろす。
 午前7時45分に家の前を必ず通る、名も知らぬ君を見ることが、僕の日課だった。

 彼女が通っているらしい学校は、電車で2駅ほど離れた、少しは名の知れた私立の女子高だ。それくらいは、彼女の制服を見れば知ることができた。けれど、それ以外の情報を知るすべは、僕にはなかった。
 名前は何ていうのだろうか? 一体何歳なんだろう? 何処に住んでいるんだろう? 家族構成や交友関係は? どんな声で、僕の名前を呼んでくれるんだろう?
 ―――今思えば、たぶん、一目惚れだったんだろうと思う。けれど、それ以上のことを知るきっかけは全く無かったから、僕はこうして毎朝、彼女の姿を見ていたんだ。


     ▼


 それは、先週の金曜日の夕暮れ時。

 時間を持て余していた僕は、散歩がてら、近所の公園へと来ていた。子どもが遊ぶような施設は何も無く、ただ緑とベンチがあるだけの緑地公園。それでも、子ども達の喧騒に巻き込まれることも殆ど無かったし、いつもひっそりとした静寂に包まれている、雰囲気の良い場所。たまに訪れている、僕のお気に入りの場所だった。
 ベンチに備え付けの灰皿を手元に手繰り寄せて、僕はポケットからタバコの箱を取り出した。一本手にとって、右のポケットから取り出した100円ライターを点火した。しゅっという小気味良い音。立ち込める紫煙を横目に見つつ、大きく一口吸って、吐く。
 そんな時、子犬が吠えるような声が聞こえてきて、僕は思わず顔をしかめた。道路沿いの入り口の方から公園へと入ってくる、犬の散歩連れの姿が見えた。西日が逆光になって良く見えなかったが、シルエットから想像するに、おそらく女性だろう。
 その女性は、小犬を繋いでいたロープを近くの木に縛り付けると、自分はベンチへと腰掛けた。キャンキャンと喧しく吠える小犬を、ベンチの背もたれに頬杖をついたままじっと見ている。
 キャンキャンキャンと、あまりにもその小犬が喧しく吠えるので、僕はその場から立ち去ろうと腰を上げかけた。すると、光の加減が少し変わって、その小犬を連れた女性の顔がちらと見えた。瞬間、僕は稲妻に打ち抜かれたかのような衝撃に、身を竦ませた。

 ……彼女は、毎朝見掛ける女子高生だったのだ。

 彼女の少し長めの黒髪が、初秋の涼やかな風に吹かれてふわりと舞った。運ばれてくる甘い香りは、シャンプーの香りだろうか。妙にドキドキしてしまい、僕は下を向いた。
 それ以降は何故かそちらを見ることができず、僕はただ、じっと下を向いていた。やがて日が沈み、街灯に灯が点く。暗がりの中、僕はじっと自分の手を見ていた。隣のベンチに座る彼女も、しばらくずっと動かないでいたのだった。
 やがて、先に動いたのは彼女の方だった。立ち上がる気配を感じて、僕はようやく顔を上げた。彼女が行ってしまう、そのことに気付いて、今更愕然として。それならせめて声を聴いてみたいと、僕はささやかな願いを心の中で呟いた。すると、次の瞬間、

「タロー」

 柔らかな声。僕を蕩けさす、魔性の声。

「もう遅いから、そろそろ帰ろう」

 それは、自分の愛犬に掛けた、何気ない一言。それでも、僕を蕩けさせずにはいられなかった。
 木に結んだロープを解いて、しっかりと掴んだ。それだけで彼女の小犬は理解したらしく、しっかりとした足取りでとことこと歩き始める。僕は今更ながらに視線を上げて、宵闇に消えて行く彼女の後姿を見た。振り向け、と心の中で願ってみた。けれど、彼女が振り返ることは無かった。


     ▼


 それ以後、毎夕のようにその公園に通う僕のことを、人は積極的だと褒めるだろうか。それとも、女々しいと笑うだろうか。どちらにせよそれは、引っ込み思案な僕にとっては、最大限の勇気を振り絞った冒険に違いなかった。

 彼女は、週に2回ほど姿を見せた。曜日は決まっていないようだったので、おそらく毎日違うルートや時間を選択しているのだろう。とは言え、僕にはそこまでの詳しい事情を知ることはできなかったので、全て僕の想像に過ぎなかったのだけれど。
 彼女が公園に来るときは、決まってベンチに座って休んでいた。大体30分ぐらいだろうか、ベンチに座ってぼうっとしている。たまに何かを考えるかのように、顎に手を当てて首を傾げたり、両手で頭を抱えたり、ひざの上で手を組んで視線を落としたりしていた。僕はそれを、隣のベンチから横目でちらりと覗いていた。

 ところが、今日はどうも様子が違っていた。

 いつも連れている愛犬の姿が見当たらない。それに、いつもはシャツにジーンズと言うラフな格好が多いのに、今日は珍しくスカート姿だった。そして、何かを待っているかのように、そわそわと落ち着きが無い。たまに腕時計に視線を落としては、溜め息を吐く。時折、鞄から小さな鏡を取り出して、前髪のチェックに余念が無い。
 もしかしたら誰かと待ち合わせなのかも知れない。僕は、見てみたいけど見たくない、そんな不思議な二律背反に心を奪われた。名前も知らない彼女の一挙一動にこんなにも心を動かされる、僕は何処かがおかしくなってしまったのだろうか?
 しばらくして、彼女は何かに気付いたように、ベンチからすくっと立ち上がった。公園の入り口の方から、一人の男が近づいてきていた。そちらの方へと駆け出していく彼女、それと同時に、僕の鼓動が激しく打ち鳴らされる。彼氏なのかな。それとも、ただの友達なのかな。頭の中で浮かんでは消えていく嫌なイメージを振り払うように、僕はぶんぶんと頭を振った。けれど。

 やがて2人は、どちらからともなく、お互いに手を繋いで。
 その瞬間、名も知らぬ君への、僕の恋は終わったんだ。


     ▼


 ―――その時は、確かにそう思っていた。
| SS(オリジナル) | 01:59 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP